【福沢諭吉と渋沢栄一】名言で比較解説!共通点より多い相違点
2024年7月3日から一万円札が福沢諭吉さんから渋沢栄一さんに変わります!
お札の偽造防止や渋沢栄一さんの日本経済の発展や功績以外の渋沢栄一さんがなぜ一万円札になったのか?シンプルでこれからの時代に大切な理由とは?
では、いったいなぜ変わるのか?
相違点とは?
福沢諭吉さんは論語を批判。
渋沢栄一さんは論語をビジネスの規範にする。
福沢諭吉さんは学問の礎を築いたが、渋沢栄一さんは経済の礎を築いた。
今現在、学問の重要性は福沢諭吉さんが生きた時代より理解が進み定着しました。
なのでこれからは渋沢栄一さんが提唱する道徳を伴ったビジネスを考える必要があり、今に足りない重要なマインドだと私は思います。
福沢諭吉さんの役目は果たされた!
今の問題は夢、理想、信念なき学問にある!
「ただ単にみんなが大学に行くからとりあえず行くし、とりあえず偏差値が良い大学を出さえすれば就職に有利」
「一流企業に入ると将来安泰なのでやりたい仕事じゃないけど就職する」「一流企業や大学に入ることがゴールになっているのでその先のゴールを見据えていない」
福沢諭吉さんは「金銭は独立の基本なり、これを卑しむべからず」と言ったが、渋沢栄一さんはそこには必ず大前提として道徳が必要だと言った。
お二人の有名な名言を比較し、出来るだけ分かりやすく私の考えを伝えます^^
お二人のそれぞれの名言はこちらになります↓
以下は記事の構成になります。
このエリアでは、私の意見や体験談を元に名言に秘められた思考の理解を助けます。
皆さんの思考が変わり、やがて運命が変わる手助けが出来たら嬉しいです^^
それでは紹介していきますね!
福沢諭吉の心訓と渋沢栄一の夢七訓、名言で分かる思考の違いとは?
まずは、福沢諭吉さんの心訓からです↓。
世の中で一番楽しく立派なことは、一生涯を貫く仕事を持つこと。
世の中で一番惨めなことは、教養のないこと。
世の中で一番寂しいことは、仕事のないこと。
世の中で一番醜いことは、他人の生活をうらやむこと。
世の中で一番尊いことは、人のために奉仕して少しも恩に着せぬこと。
世の中で一番美しいことは、すべてのものに愛情を持つこと。
世の中で一番悲しいことは、嘘をつくこと
続いて、渋沢栄一さんの夢七訓です↓。
夢七訓、夢なき者は理想なし、理想なき者は信念なし、信念なき者は計画なし、計画なき者は実行なし、実行なき者は成果なし、成果なき者は幸福なし、故に幸福を求むる者は夢なかるべからず
引用元:深谷市立大寄小学校
お二人の幸福の条件には違いがあります。
福沢諭吉さんは学んだ結果→夢や理想を掴み幸福に繋がる。
・学ぶことそのものを重視しそれが幸福であり、人々に必要だと説いています。
渋沢栄一さんは夢を持った結果→学び、幸福に繋がる。
・夢を持つこと、信念や理想を大切にしました。
福沢諭吉さんは具体的思考、渋沢栄一さんは抽象的思考と言い換えることも出来ます。
私たちの今まで学んできたこと、重視されていたことは具体的思考でした。
例えば、「夢を持ちなさい」とも言われることはありましたが、それよりも圧倒的に「良い学力や成績、良い学歴」を言及されることの方が多かったですよね?
その結果、具体的に現実だけを見る思考に陥り「夢を諦める」「夢がない」「理想と現実は違う」「夢でお金は稼げない」「夢を語るのが恥ずかしい」などと諦める方も多いです。
仮に夢を達成出来た場合でも、起きる問題は具体的な目標を達成するとその先に進む思考をストップさせてしまうということ。
つまり、目標を達成した後は無意識に楽をする思考になりやすいということです。
その結果、会社の生産性は下がり広い意味合いでは社会の経済的な損失に繋がる。
もちろん、今以上に働く時間を増やしたりすることを言っているのではなく、より短い時間で効率良く働いて生産性を上げる必要があるということ。
その為には、夢や信念、理想などが必要で「学力だけではもう頑張れないところまで来ている」と私は思うのです。
仕事を頑張るのは当たり前ですが、その際に目標や目的が「お金のために仕事をする」というマインドになっていると「いかに楽をしてお金を稼ぐか」又は「給料が上がらないのでいかに残業代を稼ぐか」という思考になってしまっている方もいるのではないでしょうか?
夢や信念、理想がモチベーションになり保ちやすいですが、夢という抽象的なことを理由にするには具体的にする必要があります。
理由は、目標が具体化するので自分に無駄だと思える仕事や作業でも頑張れて、その努力の差と生産性に出るからです。
スキルを上げる方法は直接的には分かると思いますが、間接的にスキルを上げることに繋がることは行動しないとわかりません。
つまり、どんなことでも(嫌なことでも)チャレンジしてみる必要があるということ。
福沢諭吉の学問のすすめと渋沢栄一の論語と算盤から分かるビジネス思考の違いとは?
福沢諭吉さんの学問のすすめからです↓。
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言われている。
つまり、 天が人を生み出すに当たっては、人はみな同じ権理(権利)を持ち、生まれによる身分の上下はなく、万物の霊長たる人としての身体と心を働かせて、この世界のいろいろなものを利用し、衣食住の必要を満たし、自由自在に、また、互いに人の邪魔をしないでそれぞれが安楽にこの世をすごしていけるようにしてくれているということだ。
しかし、この人間の世界を見渡してみると、賢い人も愚かな人もいる。貧しい 人も、金持ちもいる。また、社会的地位の高い人も、低い人もいる。こうした 雲泥の差と呼ぶべき違いはどうしてできるのだろうか。
その理由は非常にはっきりしている。『実語教』という本の中に、「人は学ばなければ、智はない。智のないものは愚かな人である」と書かれている。つまり、 賢い人と愚かな人との違いは、学ぶか学ばないかによってできるものなのだ。
また世の中には、難しい仕事もあるし、簡単な仕事もある。難しい仕事をする 人を地位の重い人と言い、簡単な仕事をする人を地位の軽い人という。およそ 心を働かせてする仕事は難しく、手足を使う力仕事は簡単である。だから、医 者・学者・政府の役人、また大きい商売をする町人、たくさんの使用人を使う 大きな農家などは、地位が重く、重要な人と言える。
社会的地位が高く、重要であれば、自然とその家も富み、下のものから見れば 到底手の届かない存在に見える。しかし、そのもともとを見ていくと、ただその人に学問の力があるかないかによって、そうした違いができただけであり、 天が生まれつき定めた違いではない。
西洋のことわざにも「天は富貴を人に与えるのではなく、人の働きに与える」 という言葉がある。つまり、人は生まれた時には、貴賎や貧富の区別はない。 ただ、しっかり学問をして物事をよく知っているものは、社会的地位が高く、 豊かな人になり、学ばない人は貧乏で地位の低い人となる、ということだ。
続いて、渋沢栄一さんの論語と算盤です↓。
私は不断にこの算盤は論語によってできている、論語はまた算盤によって本当の富が活動されるものである、ゆえに論語と算盤は、甚だ遠くして甚だ近いものであると始終論じておるのである
では、この2人のビジネス感覚の違いとは?
福沢諭吉さんの主語は学びによる自己研鑽です。
渋沢栄一さんの主語はホスピタリティとビジネスの融合にあります。
違いは、ビジネスに「他者への配慮や思いやり」が入るかどうかが関係するということです。
今の現代では、学問のすすめで提唱した「自己の学びによる自己研鑽で社会を良くしていくマインド」でしたが、それは今現在の社会では達成しつつあります。
現代では、基本的には学びたければ学べますし、コスト的に厳しい場合でも奨学金などを利用すれば学ぶことは可能な時代ですよね。
これからの時代への次のステップに必要なことは、全体的に夢を描いて実現する想像力と行動力が私たち現代人には不足しているので、「夢を持ち、理想や信念の元に自らを研鑽し学ぶことで幸せを掴む」ということを意識することがステップアップに繋がり、それが今の時代に必要なメッセージではないかと私は考えます。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
私なりにこれからの時代に必要な渋沢栄一さんのマインドを掘り下げてみました。
これからの時代、夢や理想、信念を胸を張って伝えられるようになることを願いたいですね^^
そのためには私を含め、一人一人が夢を描き続けることが必要ではないでしょうか?
では、次の名言でお会いしましょう!