福沢諭吉の名言【本当の意味解説】学問のすすめ、天は人の上に人を造らず
皆さんは学問のすすめの有名な一説「天は人の上に人を造らず」の本当の意味を知っていますか?
「天は人の上に人を造らず」の本当意味を理解すると勉強をする理由がこの記事を読めば分かります!
学問のすすめには「個人の独立」「政治について」なども語られています。
心訓では「世の中で立派なこと↔悲しいこと」「惨めなこと↔尊いこと」「醜いこと↔美しいこと」「寂しいこと」なども福沢諭吉さんは伝える。
今回は現代語訳版を引用し、出来るだけ分かりやすく思考の活用を伝えますね。
以下は記事の構成になります。
このエリアでは、私の意見や体験談を元に名言に秘められた思考の理解を助けます。
目次のタイトルは名言の思考を要約していますので、時間がない時は目次だけを読み、時間がある時は本文を読んで頂けると理解が深まります。
皆さんの思考が変わり、やがて運命が変わる手助けが出来たら嬉しいです^^
それでは紹介していきますね!
福沢諭吉の名言:人生に活かせる世の中の心訓とは?
世の中で一番楽しく立派なことは、一生涯を貫く仕事を持つこと。
世の中で一番惨めなことは、教養のないこと。
世の中で一番寂しいことは、仕事のないこと。
世の中で一番醜いことは、他人の生活をうらやむこと。
世の中で一番尊いことは、人のために奉仕して少しも恩に着せぬこと。
世の中で一番美しいことは、すべてのものに愛情を持つこと。
世の中で一番悲しいことは、嘘をつくこと
具体的には、すべてに愛情を持つためには何が必要でしょうか?
月並みですが、「give=与える」が必要だと私は考えます。
理由は人に無償で与えることが出来る余裕を持った人だからこそ、知らぬ間に誰かのgiveを受け取る。
与えていない人が貰うことは出来ないですし、無償のgiveができる人には見返りが必要ない。
何故なら、見返りは自分自身で生み出すことが出来るからですね^^
福沢諭吉の名言:有名な「学問のすすめ」には続きの解釈があった!
結論を先にお伝えします!
生物的には平等ですが、人間社会では違います。
職業の格差、貧富の格差などが勉強によってある程度決まってしまうので常に学ぶ姿勢を持って生活しようということです。
福沢諭吉の名言:「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言われているけれど、勉強しないと格差は開く!?
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言われている。
つまり、 天が人を生み出すに当たっては、人はみな同じ権理(権利)を持ち、生まれによる身分の上下はなく、万物の霊長たる人としての身体と心を働かせて、この世界のいろいろなものを利用し、衣食住の必要を満たし、自由自在に、また、互いに人の邪魔をしないでそれぞれが安楽にこの世をすごしていけるようにしてくれているということだ。
しかし、この人間の世界を見渡してみると、賢い人も愚かな人もいる。貧しい 人も、金持ちもいる。また、社会的地位の高い人も、低い人もいる。こうした 雲泥の差と呼ぶべき違いはどうしてできるのだろうか。
その理由は非常にはっきりしている。『実語教』という本の中に、「人は学ばなければ、智はない。智のないものは愚かな人である」と書かれている。つまり、 賢い人と愚かな人との違いは、学ぶか学ばないかによってできるものなのだ。
また世の中には、難しい仕事もあるし、簡単な仕事もある。難しい仕事をする 人を地位の重い人と言い、簡単な仕事をする人を地位の軽い人という。およそ 心を働かせてする仕事は難しく、手足を使う力仕事は簡単である。だから、医 者・学者・政府の役人、また大きい商売をする町人、たくさんの使用人を使う 大きな農家などは、地位が重く、重要な人と言える。
社会的地位が高く、重要であれば、自然とその家も富み、下のものから見れば 到底手の届かない存在に見える。しかし、そのもともとを見ていくと、ただその人に学問の力があるかないかによって、そうした違いができただけであり、 天が生まれつき定めた違いではない。
西洋のことわざにも「天は富貴を人に与えるのではなく、人の働きに与える」 という言葉がある。つまり、人は生まれた時には、貴賎や貧富の区別はない。 ただ、しっかり学問をして物事をよく知っているものは、社会的地位が高く、 豊かな人になり、学ばない人は貧乏で地位の低い人となる、ということだ。
世の中って世知辛いですよね。
私は勉強が苦手で嫌いでした。
「将来の役に立つ」「良い仕事に就ける」「立派な人間になれる」などの言葉を周りの人たちに言われたことがありますし、皆さんも言われたことがあるのではないでしょうか?
大人になり、学校などで勉強をしなくても良くなって嬉しかったですが、今になって何のために勉強をしていたのかが分かりました。
私が思う「何のために学生の時は勉強をしているのか?」の理由は、勉強は丸暗記したりして良い点数を取るだけが目的ではなく、考え方=方程式を学んでいるということですね。
つまり、数学なら方程式に当てはめて考える「論理的思考」現代文なら言葉の本当の意図を読み取る「読解力」などを学んでいるということ。
そして、学生の時の勉強と社会人の勉強では大きな違いがありますよね。
学生の時はテストの点数がすべてです。
社会人では、点数はもちろん必要な場面はありますが、問題と答えが不明な事柄を解決する能力が必要になります。
学生の時の答えは一つ「良い成績、点数を取ること」ですが、社会では答えは一つではない場合もあるので、考え方によっては答えの抜け道を探すことができ、自分で答えを創造することも可能です。
いまだに勉強という言葉は苦手ですが、私自身ビックリしているのが「学び、スキルアップすることが好きになり楽しい」と思えるようになりました。
まさか私がそんなことを思う日が来ると思うと、学び自分の弱点を改善しながら生きるのって楽しいなって思います^^
また、夢を持つことが学びや、幸福に繋がると仰った渋沢栄一さんの名言はこちらになります↓
福沢諭吉の名言:学問=勉強とは? 勉強する理由とは?
結論を先にお伝えします!
「学問では本質を理解し、あなたがどう活用するかが大切だ」ということです。
学問は、ただ本を読むだけで事足りるものではない。
学問の本質は、学問を自分がどう活用できるかにかかっている。
私がこのブログでなぜ、名言を紹介するだけではなく名言から偉人の思考を補足説明をして出来るだけ想像がしやすい具体例を解説するのかには、理由があります。
理由は名言を知っているだけでは活用できないので、皆さんが本質を理解して実践し行動が出来て問題解決に活かして頂くことです。
学問とは、ただ難しい文字を知ることではない。
具体的には、難しいことを誰でも分かるように簡単に理解させることが出来る力が必要だと私は思います。
難しいことをそのまま、難しく伝えることは簡単です。
ですが、簡単に伝えようとすると難しいことの本質を理解していないと出来ないんですよね^^;
私も皆さんに難しい偉人の名言を出来るだけ簡単に分かりやすくお伝えが出来るように、記事を改善していますので一度読んだ記事でもお時間がありましたらまた読んでみてください^^
私がより簡単に分かりやすく記事を改善した結果、皆さんの新しい気づきや発見に繋がれば嬉しいです^^
文字は学ぶための道具であり、建築に使うトンカチやノコギリと同じだ。
難しい文字や初めて聞いた、見た文字を分からないままにせず調べることが大切であり、その行動と習慣が学問の扉を開くと思います。
福沢諭吉の名言:学問のすすめ、その他の一説「政治とは、個人の独立が支える」
結論を先にお伝えします!
政治=社会生活(会社、ビジネス、経営者側の視点)で考えることができる。
個人の「独立=自立」無くして、外の独立(会社やビジネスでの自立したスキルを持つこと)はありえないということ。
個人の独立に必要なこと
結論を先にお伝えします!
個人の独立とは「自分の行いに精神的な責任を持ち、問題が起きた時に自己解決できる」ことです。
理論と実行の一致がゴールであり、試行錯誤し目指す。
チャンスを掴めむには「新しいもの、手軽で楽なことを若いうちから欲せずに苦労を惜しまないこと」が大切であり、独立に繋がります。
自分自身が独立して初めて、外(社会、会社や外国など)に対して独立することが出来るということ。
我が日本国民も、直ちに学問に志し、気力を確かに持って、まず個人としての独立を意図すべきである。
精神的な自立には、自分の考えを持つことが必要です。
仕事や遊び、日常生活などでも考え、学び、行動し、そこからフィードバックする。
独立とは、自分で自分の身の始末をつけ、他人を頼る心がないことをいう。
会社から独立する時に例えてみましょう。
独立する際に、知識がゼロでも出来なくはないですが、早くに行き詰まる。
そして独立するにはスキル、経験、私の独断と偏見では自分の伝えたいことを正確に人に伝えられるコミュニケーション能力が必要だと思います。
なぜ、コミュニケーション能力が必要か?
理由はスキルを学ぶ際や自分の意見を伝える場合に伝えることが出来るか、出来ないかを左右するからです。
会社の中では集団の中の個人だったものが、個人で独立すると言うことは、集団に匹敵するパワーを有する必要がある。
そのためには、時間は限られるので如何に効率的に動き、頭を使うかが鍵になります。
つまり、会社から独立する場合は個人での問題解決力が必要不可欠です。
独立には二通りの区別がある。
一つは有形の独立、もう一つは無形のものである。
無形の独立の方が重要度が高いのはなぜか?
理由は「形のある今現在の独立の証=有形の独立」は未来永劫続くとは限らないからです。
逆に無形の独立はあなたのスキルや経験なので生きている限り有効ですよね。
また、仮に上記の「有形の独立の証」を失ったとしても、無形の独立をしていると取り戻すことが出来ます。
取り戻す方法を知っているからですね。
なので、無形の独立を心がけたいのですが、必ずしもこの両者(有形、無形の独立)は揃わない。
理由は、有形の独立は、無形の独立が無い状態でも達成出来てしまうからです。
具体的には、達成だけであれば結果は置いて「家を買う」「会社を持つ」こと自体は出来るからですね。
そして、運やコネも要素として加わるのも理由です。
運やコネは本当の意味では自分の実力ではないので再現性が無いのが問題ですね。
理論と実行とは、寸分も食い違うことなく、一致させねばならない。
実際には理論と実行を一致させることは難しいですよね。
理由は、イレギュラーな要素が関係するからです。
理論と実行を一致させるためには、日々のフィードバックから理論と実行のギャップを埋める作業が必要であり、その習慣が一致させるための「予測と行動の早さ」に繋がります。
チャンスに恵まれなければ、有能な者もその力を発揮できない。
では、チャンスを掴むために必要なことは何かと言うと「行動すること」が大切になります。
行動する習慣を癖付けることがチャンスを逃さない方法です。
「今は忙しい」「今は余裕がない」「今のスキルでは無理だ」「今は時間がない」この全ての理由は言い訳に使ってしまう言葉です。
チャンスは待ってはくれません、あなたが掴みに行かなければチャンスを逃しますし、他の誰かに奪われます。
とは言え、行動することの難しさはチャンスをよく逃してしまう私自身がよく知っています^^:
だからこそ、行動の早さの重要性を理解しているんですよね。
行動する習慣や早さを手に入れる為には、何気ない時でも行動の判断スピードを上げることが大切になります。
人間は一つのものを得ると、すぐに次のものが欲しくなり、満足は不満に変じて、飽きることを知らないものである。
新しい事柄は人の興味を刺激します。
ですが、それに争わないと永遠に流行を追うことに翻弄されていくということです。
ただ、良い物は流行るので「あなた自身が満足する落とし所を見つける」必要がありと思います。
お手軽に得られるものは、お手軽に消える。
若いうちは、易きにつくな。
つまり、スキルアップをしたければ若いうちに苦労をしておく必要があるということ。
私も正直、苦労はしたく無いのが本心です^^;
ですが、楽な方に若いうちから逃げているとクセがつくので、歳を重ねた時に挽回することが難しくなります。
そして、若い方が体力もあり、精神的にもエネルギーがあるので苦労は出来るだけ早めに経験しておく方が後が楽です。
転職、独立、起業なども同じですよね。
苦労を率先して買って出る習慣を身につけるとあなたの苦労だと感じるパラメーターは大きくなるので、他者が苦労だと思うことも苦労だと思わない心が身につきます。
自分自身の独立を保てぬ者は、外に対して独立することなど不可能なのである。
自分自身の独立を保てないのに、無理やり外に対して独立を行うといずれ破滅します。
理由は自分に余裕がないので、精一杯になり物事のフィードバックを難しくするからです。
今日まで国としての独立を失わなかったのは、国民が鎖国の風俗習慣になれ、外国との戦争による国家の危機がなかったためである。
他の国よりも危機感を持たなくても良いのは平和な国な証拠なのですが、私たちの頭の中には無意識的に誰かが助けてくれると思ってしまっています。
物理的な例えでは「警察が助けてくれる」「国の法律が助けてくれる」などで実際には助けてくれるのですが、限界はありますよね。
なので、私たち一人一人が独立=自立する必要があると私は考えます。
個人の独立と社会生活共通で必要なこと
結論を先にお伝えします!
人に意見をする時は相手を尊重し、恨みを他者に向ける人には近づかない。
世の中の流れは常に変化し予測できるものではないので失敗を恐れず、計画を立てその計画を早く実行出来れば出来るほど見返りが大きい。
「情報を取捨選択して見極める力=本質を見抜く力」は一つの物事を極める姿勢で養われる。
進歩か後退しかないので現状維持するくらいなら、少しでも前進することが大切だということ。
誹謗も弁駁も紙一重である。
では、他者に意見するときに「誹謗や弁駁」にならないようにするにはどうすれば良いでしょうか?
私は、相手の意見を尊重することが秘訣だと考えます。
怨望を抱く者どもは、世間の幸福を破壊するだけで、世の中に何の寄与もなし得ない。
世の中は生きているし、流動的でその変化は予測できない。
だから賢人でも意外な失敗をするのである。
世間で何かの計画を立てた人は「死ぬまでには」とか、「10年以内に成し遂げる」などと言う場合が最も多い。
「3年以内」「1年以内」という者はやや少ない。
「1ヶ月以内」「すぐに今日から実行する」という者は、ほとんど稀である。
何を信じ、何を疑うか、選択する力が必要なのである。
情報の取捨選択をするためには、物事の本質を見抜く力を養う必要があります。
もう少し深掘りすると、物事の本質を見抜く力=「コツを覚える、因果関係を見抜く、辻褄が合っているかを把握する」などですね。
何か一つのことを極めると物事の本質を見抜く力は養われます。
もちろん、極めることは人と比べなくても大丈夫です。
上記の理由で福沢諭吉さんは人々が学問を極め、物事の本質を見抜く力を養って欲しいと考えたのでは無いかと私は思います。
大凡世間の事物、進まざる者は必ず退き、退かざる者は必ず進む。 進まず退かずして潴滞(ちょたい)する者はあるべからざるの理なり。
現状維持に甘んじていると、足元をすくわれるということ。
なら、小さな一歩でも前進した方が良いですよね^^
小さな進歩で歩みが遅くても心配は無用ということ。
社会生活に必要なこと
結論を先にお伝えします!
政府が作った法を鵜呑みにせず自分の考えの元で法に従う。
法を守る限り、私たちの身は守られるが自分の身は自分で守れるように自立する。今の時代は努力次第で様々な職業や夢を自由自在に掴めるので、自らの能力を発揮させるが自分の立場を誤らないよう謙虚な姿勢を心がける。
リーダーの基本的なスキルは「知識がない人、使い方を知らない人、教養がない人を善意で助ける」ことである。
仕事をして衣食住に困らないだけで満足せずに、夢と目標を持ち学び続けることが、結果的に社会全体を良くすることに繋がりいずれ政治にも影響を与える。
国民が政府に従うというのは、政府が作った法に従うのではなく、自分が作った法に従うのである。
自分自身で物事を判断するためには、頭の良し悪しよりも、頭を使うことを心がけることが大切です。
一見すると、「頭の良し悪し」と「頭を使うこと」は似ていますが言葉の意味は違います。
頭の良し悪しとは、学力的なこと。
頭を使うことは、物事の良し悪しを判断して失敗からフィードバックすることです。
学力はもちろんある方が頭を使いやすいですし、使い方を学んできたはずですね。
しかし、学力は頭を使う上ではあまり重要ではありません。
なぜなら、頭の良し悪しは「全てにおいてフィードバックを行えているかは別問題」だからです。
私が伝えたいことは2つあります。
①頭は絶対に良い方が魅力的ですが、今現在学歴が無く絶望していても挽回するチャンスはあると言うこと。
②ただし、チャンスを掴む確率は頭が良く学歴がある方がチャンスを掴む確率が高いので学生の方などは頑張って勉強して学び、頭の使い方を覚えて良い学歴を手に入れた方が楽ができると言うこと。
良い学歴を手に入れた場合に起きる問題は、一種の燃え尽き症候群に陥る可能性があると言うことです。
もちろんこれは大手一流企業に入社出来た場合でも同じと言えますよね。
良い学歴、職業に就けたとしても心が燃え尽きて、目標や夢を失い学び続ける姿勢が欠落してしまった人を私は実際に知っています。
そして燃え尽きてしまうと頭を使うことを拒否してしまいます。
拒否してしまう理由は「あれだけ頑張って学歴や資格を手に入れたので楽をしたい」というマインドになるのが理由です。
燃え尽き症候群に陥らないようにする為には、燃料が必要ですよね?
その燃料は一人一人違うので、目標を達成出来たら次の目標を立て試行していくことが大切だと私は思いますし、燃え尽きる対策になるのではないでしょうか。
ただ、人には人のペースがあるので頑張る時とリラックスする時のバランスが大切ですよ^^
この国に住み、国民として政府とどんな約束を結んだのか。
必ず国法は守る。
そしては我が身の保護を受けたいと約束したはずである。
現在では人民全て平等という基本精神が成立したのだから、我々は安心して自分の力量を発揮できるわけである。
現実問題、自分の力量を発揮することは難しいですよね^^;
そもそも、自分の力量はどのくらいあるのかを把握する必要があります。
力量が分かると後は簡単ですね。
力量が足りない場合はスキルを身につける。
力量がある場合はすぐ行動にする・・・行動出来ないのは精神的な不安からくるものなので、失敗を恐れなくてもいいんです。
恐れなくても良い理由は、失敗から学ぶフィードバックこそがあなたの力量をさらに高めることになるからです。
ただ自由自在だとばかり主張して、自分の立場を知らないでいたら、それはわがままになり、身を持ち崩すことになる。
では、どうすれば自分の立場を知ることが出来るか?
方法は、謙虚な気持ちを持つことです。
自由自在に振る舞えているのは「きっと誰かのおかげでそう動けているということを自覚し感謝すること」が大切ではないでしょうか?
世の中で無知蒙昧の民ほど哀れなものはないし、付き合いにくいものはない。
無知蒙昧な人と関わりを断てば良いかというと難しいと思います。
どこにでも無知蒙昧な方は存在するからですね。
関わりを断つことが出来ないのなら、考え方を変えてみましょう。
無知蒙昧な人に知識と教養、物事の道理をどう授けるか?
きっと、あなたは思うはずです、「授けることに意味はある?」「私が損していて時間のムダ」などですね。
多くの人は無知蒙昧な人を無視するでしょう。
授けるためには「コミュニケーション能力、知識と教養、物事の道理の本質を理解し言語化が出来ること」が必要です。
仮に無知蒙昧な人自身が変わる気がなくとも、あなたにはプラスになるはずですよね。
そして無知蒙昧な人が変わるきっかけになればWin-Winではないでしょうか^^?
上に立つ者の基本的な考えは、世の民衆はみんな無智で、かつ善良だというところに立っている。
部下が「知識がないこと、知識の使い方を知らないこと」を嘆くのではなく、分かりやすく教えられるスキルと思いやる心が必要だということ。
また、部下は今現在は知識の使い方を知らないので与えた仕事の意味、理由などを丁寧に伝えてあげる必要があります。
昔は「とにかくやれ」「自分で考えろ」「見て覚えろ」などと言われていましたが、今の時代それでは若い方は離れていく。
なのでこれからの時代は、言葉でしっかりと伝え、導けるリーダーに変わらないといけないと私は思いますし、意識するところです。
蟻と同じレベルになったくらいで、満足するな!
実際に蟻に目標や学ぶ姿勢がある、なしに関わらず一生懸命に仕事をすることは大切ですが、それで手がいっぱいになっていては福沢諭吉さんが言う「個人の独立」を達成出来ません。
では、働き蟻から脱する方法とは?
答えは理想や志を高く持ち続け、達成出来たら次のステップを目指す姿勢。
理想が「生活が出来れば良い」「良い仕事に就けられれば良い」などで満足していると向上しようと言う欲が生まれないので、今の現状に満足せず、常に向上心を持ち続けることが必要です。
ただ、実際は難しいですよね^^;
仕事を覚え、日々のタスクをクリアすることで精一杯になっている方も大勢いらっしゃるのではないでしょうか?
そんな精一杯な生活の中でもあなたを助けてくれるのが目標や夢を叶えることをモチベーションにすることです。
今の現状では、夢や目標を叶えることが出来ず心が挫けそうになるかもしれませんが現状に満足せずに変えようとすることが、あなたが仕事や生活で精一杯になってしまっている状態を改善する方法だと思います。
福沢諭吉の名言:いにしえの言葉「困難にチャレンジし続ける」とは?
【自我作古】
我より古を作す(われよりいにしえをなす)」と訓み、前人未踏の新しい分野に挑戦し、たとえ困難や試練が待ち受けていても、それに耐えて開拓に当たるという、勇気と使命感を表した言葉で、義塾の信条となっています。
この理念通りに行動するためには、やはり学び=学問が必要だと分かりますね。
学びによる自信がなければポジティブに行動が出来ません。
自信がなければポジティブに行動が出来ない理由は、予測、構想の時点で「行動の結果を考えた場合に悲観的に物事を考えてしまうから」です。
自信とは、文字通り「自分を信じること」なので他の人と比べる必要はありません。
どういった行動、思考が「自分自身を素敵だと思えるかを描くポジティブで謙虚な姿勢」です。
「謙虚さがない=それはただの過信」ですね。
自分のことが素敵だと思える理想のあなたはどんな姿や表情、心境ですか?
より強く思い描く力があなたの魅力を上げることに繋がります^^
まとめ
福沢諭吉さんの名言は、いかがでしたでしょうか?
私が紹介した名言全体を通して大切だと思うのは何事も学び続け、フィードバックする姿勢だと思います。
学ぶことに喜びを見出し、スキルアップに心を躍らせることが伝えたかったことかもしれませんね。
もちろん個人個人で感じ方はそれぞれであり、間違いはありません。
大切なのは今日より明日のスキルアップのために行動することです。
それではまた次の名言でお会いしましょう!